(ぼくの画塾に入ってきた太郎は)
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
(ぼくの画塾に入ってきた太郎は絵をかこうとせず、エビガニにだけ関心を示した。そこである日、川原に連れ出し、カニを追ったりコイを見たりして遊んだ。)
川原へいった日から太郎とぼくとのあいだには細い道がついた。彼はアトリエにやってくると、ぼくにぴったり体をよせて、グワッシュを練るぼくの手もとをじっと眺
ながめた。
(略)ぼくはアトリエの床に足をなげだしてすわり、まわりに子供を集めて、ヘラをうごかしながら話をしてやるのである。太郎はぼくのしゃべる動物や昆虫こんちゅうや馬鹿ばかやひょうきん者の話に耳をかたむけ、よほどおもしろいと顔をあげて、そっと笑った。形のよい鼻孔のなかで鳴る小さな息の音や、さきの透明な白い歯のあいだからもれる清潔な体温など、太郎の体を皮膚にひしひしと感じながら、ぼくは彼と何度も逃げたコイのことを話しあった。
「水のなかではね、物はじっさいより大きくみえるんだよ。だけど、あいつはほんとに大きかったんだ。そうでなきゃ、藻
も
があんなにゆれるはずがないもんな。きっとあれはあの池の主
ぬ しだったんだよ。」
「....。」太郎はぼくの話がおわると澄んだ眼
め
にうっとりした光をうかべた。それをみてぼくは巨大な魚が森にむかって彼の眼の内側をゆっくりよこぎっていくのをありありと感じた。ぼくは話をしながら彼の眼のなかの明暗や濃淡をさぐって、何度もそうした交感の瞬間を味わった。そうやってぼくは彼から(A)旅券を発行してもらったのだ。画塾には二十人ほどの子供がやってくるが、そのひとりひとりがぼくにむかって自分専用の言葉、像、まなざし、表情を送ってよこす。その暗号を解して、たくみに使いわけなけれぼぼくは旅行できないのだ。他人のものはぜったい通用を許してもらえないのだ。人形の王国を支配している子には、ぼくはときどき内閣の勢力関係をいてやらねばならない。この子は自分の持っているさまざまな人形で政府をつくって遊んでいるのである。
聞「いまはタヌキかい」
「いや、象だよ。」
「ダルマは隠退したの?」
「うん、ここんとこちょっと人気がないね。あれは階段から落ちて骨が折れたんだよ。」
「さいづち頭がアトリエに出入りするとき、なんとなくぼくはそんな挨
あ いさつを交わしあって完全な了解を感じている。
惜しい奴
やつなんだがね。」
拶 旅券をくれてらまもなく、太郎はぼくの話のあいだに、とつぜん。
か「先生、紙。」
といいだすようになっ。それが度かさなって、ぼくが、
た「おや、また便所?」
と(B)からかうと、
「やだな、先生ったら。画
え
を描
か
くんだよ。」
そんな軽口かるくちをきいて彼はぼくから紙や筆や絵の具皿をとっていくようになった。
(神奈川県)
問一(A)「旅券を発行してもらった」というのは、「ぼく」が太郎からどうしてもらったことを言っているのか。次の中から最も適しているものを一つ選び、符号で答えなさい。
ア 絵画を教える喜びをしみじみと味わわせてもらったこと。
イ 子供の世界に入って行くきっかけを作ってもらったこと。
ウ 魚類の生態のおもしろさを共に楽しませてもらったこと。
エ スケッチ旅行のための乗車券を手に入れてもらったこと。
問二Bの「からかう」ということをしたのは、「ぼく」にどのような気持ちがあったからであろうか。次の中から最も適しているものを一つ選び、符号で答えなさい。
ア 太郎のかく絵がどれもひどく幼稚なので悲しかったから。
イ 太郎に絵をかく意欲のわいてきたのがうれしかったから。
ウ 太郎に日常生活のユーモアの必要性を教えたかったから。
エ 太郎の紙のむだづかいをそれとなく注意したかったから。
問三「太郎」の性格は、画塾に入ってからどのように変わってきているか。次の中から最も適しているものを一つ選び、符号で答えなさい。
ア よくしつけられた冷静な性格が、乱暴でだらしのない方向へと変わってきている。
イ ひとりよがりの気ままな性格が、おしゃべりで軽率な方向へと変わってきている。
ウ 内気で他人にうちとけにくい性格が、明朗で開放的な方向へと変わってきている。
エ 持ちまえのおおらかな性格が、穏やかで人間味のある方向へと変わってきている。
解答
問一イ
問二イ
問三ウ
|