世界の、いろいろなところで、少しずつ恐ろしいことが始まっていた。
でも、この小さいな畠について真剣に話し合ってる子供たちは、ありがたいことに、まだ、平和そのものの中に、いたのだった。
トットちゃんは、放課後、学校を出ると、誰にも話しかけず、さよならもいわずに、、口の中でブツブツ何かを言いながら、急ぎ足で自由が丘の駅まで来た。
まるで落語のようだけど、トットちゃんは、いま、「トドロキケイコクハンゴウスイサン」という難しい言葉を、言い続けているのだった。
だって、もし誰かが隣に来て、「ジュゲムジュゲムゴコウのスリキレ」なんていったら、とたんに忘れちゃうに決まっているし、「よいしょ」なんて水たまりを飛び越えたら、もう、わかんなくなっちゃうから、とにかく口の中で、繰り返しているのが一番いいと考えたのだった。
ありがたいことに、電車の中でも誰にも話しかけられず、なるたけ面白そうなことも見つけようとしなかったので、
「あれ?」
と思うことも起らないで済んで、家に帰る駅で、電車を降りた。
でも駅を出るとき、顔なじみの駅のおじさんが、
「おかえり」といったとき、もう少しで、「ただいま」
といおうと思ったけど、いっちゃうと、そのあとから、「ただいまスイサン」なんて、なっちゃいそうだったんで、右手でバイバイをして、左手で口お押さえて、走って家まで帰ったのだった。
帰るなり、トットちゃんは、玄関でママに、すごい声で叫んだ。
「トドロキケイコクハンゴウスイサン!」
一瞬ママは、四十七士の討ち入りか、道場破りの真似かと思った。
でも、すぐママには、わかった。
「等々力渓谷、飯盒炊爨!」
等々力というのは、トットちゃんの小学校のある自由が丘から三つ先の駅で、そこに、東京名所のひとつである、滝と小川とか林の美しい”等々力渓谷”と呼ばれる所があり、そこで、ご飯を炊いて食べるのだ、と理解したのだった。
(それにしても)とママは思った。
(こんなに難しい言葉を、よく憶えること。子供というのは、自分に興味のある事なら、しっかり憶えるものなのね)
当时正是第二次世界大战期间,全世界到处都发生了一件件令人恐惧的事情。
然而值得庆幸的是,每天都在谈论这小片庄稼地的孩子们暂时还处在和平环境之中。小豆豆放学后就走出了校门,跟谁也没有搭腔,连“再见”也没有说,口中念念有词地快步来到自由冈车站。小豆豆这会儿就好象在说单口相声,嘴里不停地念着一句难懂的话:
“等等力溪谷,饭写爨!”
要是有谁到身边讲一句:
“寿无限,寿无限,把佛光磨穿。”
她马上会把口里那句话忘个一干二净,假如自己“嘿——嗨!”叫一声跳个水坑,就再也想不起来了,因此她拿定主义最好还是在嘴里反反复复地念。幸亏在电车里谁也没有跟自己搭话,并尽量不去搜寻什么有趣的事,因而也就没有出现什么意外的情况,总算很顺利地在回家那一站下了电车。出站时,站上那位认识小豆豆的叔叔向她招呼道:
“你放学了?”小豆豆这时本想说一声:“我回来了”,结果又怕一下子说成“我回来炊爨!”所以便连忙用左手捂住嘴,用右手向这位叔叔打着再见的手势,朝家里跑回去了。
一到家,小豆豆在门口就对妈妈用最大嗓门喊道:
“等等力溪谷,饭写爨!”
一时间妈妈还以为这是在学什么“四十七壮士复仇”或“打擂取胜”的台词呢!不过妈妈很快就明白了。
小豆豆喊的这句话里,“等等力溪谷”是个风景秀丽的地方,那里有小河、瀑布和森林,是东京的游览胜地之一,地点离小豆豆所在的巴学园不远,从自由冈车站只要乘三站路就到了。所谓“饭写爨”,妈妈知道是指在那里用饭盒做饭,搞一次野炊的意思。
这时妈妈心里不禁想道:
“这句话我是理解了,可亏得小豆豆能把这么难的话记下来!看来只要是自己感兴趣的事,孩子们是完全能记得牢的!” |